
昨年の12月、清須市はるひ美術館
館長アートトーク「和田誠」の回に、参加しました。
グラフィックデザイナー 和田誠さんと言えば、なんと言っても
タバコ「ハイライト」のパッケージデザインを思い浮かべると思います。
とくに喫煙家の方はすぐに連想されるのではないでしょうか。
私は子供の頃は読書が好きだったので、星新一さんの著書の表紙絵が印象的です。
和田誠はイラストレーターではない。
「和田誠はイラストレーターではない。
極めてイラストレーション多くを描くデザイナーだった」という事。
もともとは、厳密に言うと「イラスト = イラストレーション」ではない。
イラストレーションという言葉をきっちり英訳すると、“説明図”や、“図” であるからだ。
医学書では現代でも、部位を説明する時は写真ではなくイラストレーションを用いることが多い。
それは写真では解りにくくなってしまうから、だそうです。
なので今でも図解をもって、読者に分かり易く編集されている。
使命を持った図であるから、それはイラストレーションという名前で扱われる。
ちょちょいっと、ノートの端に漫画や似顔絵を描いても
それを(正式には)イラストレーションとは言わない。
それはイラスト。
その、ちょちょいっと描いた絵は
作者のなんとくなくの衝動によって描かれたものであり、
“人に何かを説明するという任務” を背負ってはいない。
イラストレーションとイラストの違いとは。
しかし、現代では普通に
「イラスト = イラストレーション」という感じで通ってしまっている。
浸透してしまっているんだから仕方が無いのが
和製英語というものだ。
たとえば現在、夕方から始まる野球の試合をナイターと呼んでいるのだが、
それをいちいち呼び止めて
「いやそれ、正式にはナイトゲームですから。」と言う、面倒臭い大人のひとは居ない。
ここまでをまとめると・・、
「使命を持ったイラストレーションを多く用い、
商品を分かり易く消費者にお届けしているのを生業とされていたので
和田誠はイラストレーターではない。デザイナーであったのだ。」
・・・と言う事でしょう。
「誰もが和田誠になりたかった。」

誰もが和田誠になりたかった時代があったそうです。
和田氏は、若いうちから週刊文春の表紙デザインの仕事を獲得する。
これでまず安定した生活の基盤を作ることができる。
そしてその後は、極めてエンタメ寄りの仕事を楽しくやる。
レコードのジャケットのデザイン、映画のポスターデザイン。
自費で絵本をつくり、そして自身で映画も作ってしまう。

小説の表紙デザインは、今も昔も高いギャラではないのですが
楽しい仕事なので、たくさんの表紙を手がけたそうです。
・・・うーん。たしかに、誰もが和田誠になりたいですよね。
また、当時のLP盤レコードのジャケットのデザインは
“デザイナーにとっては、花形の仕事だった” 時代があったそうです。
たしかに想像するだけで楽しそうなデザイナー人生・・・。
デザインを志す、誰も彼もが
和田誠になりたかった時代があった。
現在でもCDジャケットのデザインの仕事は存在するが
やはりサイズが小さいので、
昔のレコードジャケットの仕事より評価され難いそうです。

一方で、若かりし時に描かれた、この一枚の手書きのポスター。
ベトナム戦争反対を訴えるポスターです。
強いインパクト、若いエネルギー、その時の正義感で描かれたであろう
まるで風刺画のようなこのポスターは
「日本のポスター100選」という話になると、必ずチョイスされます。
私自身も、学生の頃に教科書でよく目にしましたが
シンプルゆえに強烈なインパクトを残すポスターです。
「ショートショート神様」星新一さんの作品と、和田誠さんのイラストレーション。
主語を私に戻して、わたしの感想です。
私は子供の時に、意識せずに和田誠氏の
イラストレーションに触れてきました。
その不気味なほどに殺風景な線画を見て、いつも思っていたのは
「なぜ、せっかくイラストレーションを描いているのに
こんなに究極的な引き算をするのだろう?」
という疑問です。

まとめ・感想
子供の頃から絵を描くことが好きだった私は
「なぜ強弱の無い線画で、なんで陰影の無いベタ塗りで、(作業を)終わるんだろう?」
と常に思い、そこが解りませんでした。
しかし今回の講義を受けたことで、すこし謎が解けました。
その理由は、和田さんご本人の過去のこの発言です。
「似顔絵にしろ、イラストレーションにしろ
少し物足りない、一歩手前で描き終わるようにしている。」
完成させる一歩手間くらいのサジ加減で、やめておく。
見る人のイマジネーションのために余白を作っておく。
そんな意図なのでしょうか。
才能に恵まれたデザイナーだけが成せる、メゾットなのかもしれません。
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